函館建青会

厚雲随道

名称
厚雲随道
発注者
所在地
厚沢部町
建設年
1962年

蝦夷地を北海道という地名に改める提言をした松浦武四郎は、同時に厚沢部地方の蝦夷桧(ヒバ)が江戸時代から松前藩の財政を支えてきたことを踏まえ、この地に桧山郡を設置するよう提言した。このように厚沢部村から八雲町に至る山々は昔から未斧の豊富な森林資源に恵まれていた。この森林資源の開発と生産物の交流により、この地域の飛躍的な発展を期待するため、昭和26年以来、八雲町よりは林道として、厚沢部村からは開発道路として工事を進めていたところ、昭和37年、厚雲随道の完成により両町村が結ばれた。随道の完成により両町村の交流は盛んになり、同時に道南地域の経済活性化が図られるようになっていった。